平成28年6月30日 日之出不動滝修行
今日も日之出不動に滝修行に行ってきました。
3日連続で滝修行。今日のテーマは「いかに滝となじむことができるか?」です。
「何かに身をゆだねること」はとても重要です。
例えば、私は整体師をしているので「患者さんが私たちに身をゆだねてくれるかどうか?」で改善具合が全然違います。
ガチガチに緊張しながら、この先生は本当に良くしてくれるだろうか?と疑いの気持ちで施術を受けていたら、絶対に良くなりません。
先生を信頼して、身を預けてくれるからこそ、その人の体の緊張がゆるんで、自己治癒力も働くのです。
アスリートとコーチも、塾の先生と生徒も、会社の上司と部下も、同じではないかと思います。もちろん信頼できる指導者かどうか?が前提としてあるわけですが、その指導者にどれだけゆだねられるか?も大事です。
滝も同じです。滝やお不動様にどれだけ身も心もゆだねられるか?で結果が変わります。自分を導いてくださる存在が、人ではない存在であったり、目に見えない存在だったりするだけで、自分がそこにどう預けていくか?が重要なのは同じなのです。
滝の水流の勢いや水の冷たさに体を緊張させていると、滝の水を感じることはできないし、自分の変化も起こりづらくなってしまいます。特に神仏からのお知らせはとても繊細なものなので、感じようとしなければスルーしてしまいます。
自分の身も心もゆだねて、お不動様にお任せすることで、結果的に良い変化が起こってくるのです。
流れるプールの水の上に、浮き輪でプカプカと浮かんでいれば、自然と流されていきます。心地よく水の流れを感じたり、浮き輪に気持ちよく浮かんでいれば、とても楽しいです。
しかし、その水の流れに逆らって泳ごうとしたり、流されないようにと水流に耐えていれば、疲れるし、辛いだけです。
神仏は人を良い方向に導こうとしてくれます。その流れに上手に乗ることができるか、それとも逆らい、その流れからズレてしまうか、があるだけです。
滝修行をやって、いい変化は沢山あります。僕の場合は、滝修行をやって一番分かりやすかったのは「体調」の変化です。僕は子どもの頃から病弱で、よく病院に行っていたので、体もたくましい感じではなくて、細くて貧弱な感じでした。
しかし、体が何回も入っているうちに、どんどん体が芯から強くなってくような感じで、安定感も増して、どっしりしてきました。と言っても、体型が太くなったというわけではなくて、心も体も安定してきているという感じです。
仕事をしていても疲れにくくなり、肌もキレイになってきました。人と会っても、心がぶれない、むしろこちらの安定感が伝わって、影響力が増してきました。
いつもなら進みづらかった商談が進むようになったり、感覚が鋭くなってきて、色々な判断が的確になってきました。
最初は滝修行なんて、バラエティー番組でやっているのを見るくらいで、とても自分には縁のないものでしたが、やってみると本当の価値が分かってきます。
今は滝修行に若い女性や海外の人も参加されることが多いようです。物質社会の中で、精神性が欠けていることに気づいている人も多くいます。そういう人は何かを求めて、滝修行に参加されます。
滝修行に参加しなくても、日常でも自分を高めていくことはできます。目の前の仕事を一生懸命にやるだけでも、人の面倒を見るのでも、掃除をがんばるだけでもいいのです。
でも滝修行は、大自然の中で、肌に冷たい水をバーっと浴びて、普段使わない五感を刺激しながら、自分の潜在能力を発揮しやすくすることができます。非日常の中での体験をすることで、より日頃の自分を客観的に見れるのです。
だから自分を変えたいとか、一歩前に進みたいという人はぜひ滝修行をやられるといいと思います。
もっと積極的に自分の能力を開発したいとか、人生を大きく飛躍したいとか、沢山の人を助けられるような人になりたい、というような人にももちろんオススメです。
滝修行 その1
滝修行に誘われて、チャレンジすることになったあの日。実は少しあなどった気持ちで「何でわざわざ滝に入らないといけないの」「別にそんなことしなくてもいいでしょ」などと思っていました。
モノ好きな人もいるもんだ、バラエティー番組の企画などでやっているイメージしかありませんでした。でもやってみようと思ったのは、そのときに色々な悩みを抱えていたからかもしれません。もしかしたら何か変わるのかもしれないと期待があったからかもしれません。
当時の私は職場で昇進して、たくさんの部下を抱える役職についていました。今までにないプレッシャーと仕事量にあっぷあっぷしていて、見た目には分かりづらかったかもしれませんが、かなり気が滅入っていました。
休みの日も仕事のことばかり考えて、落ち着かずに、心身をすり減らしていました。
自分の成長のためにと、本を読み、セミナーに参加して、、、けれども何か自分に足りないものを感じて、それを埋めることができませんでした。付き合っていた彼女とも別れたばかりでした。
そんな自分を見かねてか、後に師匠となる人から「滝修行をやってみませんか」と誘われたのでした。
滝を眺めることができる位置に来ました。想像以上に水の量が少なくて「これなら余裕でしょう」と余計にあなどった気持ちが出てきました。テレビで見るような、押しつぶされるような水量ではありません。直径10cm程度の滝が頭上10mから落ちてきています。
「これなら軽い水浴びみたいに終わっちゃうかな」と思いました。ところがいざ滝着に着替えて、滝の近くに行ってみると、全く別物に見えます。決して強くないはずの水流が、地面を強く叩きつけているのを見て、これが体に当たるのは痛いかもしれない、、、と少し怖気づきました。
初夏の少し汗ばむくらいの暑い日にもかかわらず、水しぶきが体に当たると、冷たくて体が萎縮してしまいます。これを体に浴びたら、どうなるんだろうと思うと、体が震えます。
抑えようと思っても、震えや寒イボが止まりません。滝場をホウキで掃いて、掃除しているうちに、体がどんどん冷えていきました。岩場の冷たさも、ゴツゴツとした硬さも、体に染みてくるようでした。
日頃デスクワークが多くなり、学生のときには陸上で鍛えた体も、今では青白く貧弱になっていました。体の鈍った感覚器官がみるみるうちに敏感になっていくようでした。
「舐めていた、、、」準備なく来てしまったことを少し後悔しました。けれどももう逃げることはできない。と覚悟を決めて、滝に臨むのでした。
師匠が滝場に結界をはります。その迫力が凄いのなんのって、女性の師匠が本当に不動明王様のように感じました。迫力と同時に、ぶれない、安定した動きに見とれていました。
師匠が入ったあとは、私の番です。さらに滝の近くまで来ると、体がガクガクと震えて仕方がありませんでした。怖くてたまりません。声も震えてしまい、決められた言葉をまともに言うことができませんでした。
そして、滝の中に入った瞬間、体が崩れ落ちそうになりました。滝の水流に押しつぶされそうです。懸命に滝の中で立って、ご真言を唱えるのですが、水の冷たさに体が萎縮して、声が出ません。必死になって、ご真言を唱えて、体の震えを力でなんとかやり込めて、でも、悲惨なほど惨めな姿だったのではないかと思います。
師匠が近くに立って、私の体をガシッとつかんでくれました。少し気持ちを取りもどすことができました。師匠が体をさすりながら、体に溜まっていた悪いものをはがし落としてくれます。
はい、終わり!とでも言うように、私の手をグッと引っ張り、滝の外に出してくれました。滝に入っていたのは、おそらく10秒くらいだったでしょうか。しかし、もっと長い時間入っていたようにも感じられます。
何とか滝を終えたことにホッとして、震えた体をもう抑えることなく、ブルブルとさせておきました。着替えたあと、やりきった充実感がわいてきました。今まで体験したことがないような刺激が体に入って、不思議な感じがしました。スッキリしていると表現するのが一番的確だと思いますが、実際に味わっているのは、もっと爽快な感じなのです。
体から悪いものが流れ出ていったような体の軽さや視界の明るさがありました。こんなに自分の体は軽かったんだと思いました。私にはこれを科学的に適切な言葉で表現することはできません。滝修行は「究極のデトックス」だと思いました。
学生のとき、プールに入ったあとの、抗い難いダルさが襲ってきました。眠いような、まどろむような、心地よい感じがありました。
初投稿
2年前から始めた、座禅や滝修行、山岳修行の気づきをブログに書いていくことにしました。
最初は修行なんて、特殊な人がやることで、一般人の私がやることを想像もしていませんでした。
しかし、今やどっぷりその面白さにハマってしまい、時間があれば修行にチャレンジしています。
理想は修行のための修行ではなくて、日常のための修行、日常に活かされる修行、そして、何気ない日常生活が修行そのものになることだと思います。
正しく修行ができれば、日常生活が変わります。仕事やプライベートが上手くいくようになります。ただ興味本位でやる修行もいいのですが「いい経験したな!」で終わってしまったらもったいないです。
特別な経験として思い出になるのもいいですが、良い師匠に教えてもらうことができたら、修行後は日常生活によい変化がおとずれます。
そして、日常生活を送ることの中に、本当の修行があるんだとわかって、辛いことがあっても、問題にぶつかっても、負けずに乗り越えて、自分を成長させることができるようになります。
いくら文字を読んでも、修行はやらないとその面白さは分かりません。興味がある人はぜひ一緒にやりましょう。
私のメインの修行場所は愛知県、岐阜県ですが、東京や大阪でもやっています。
皆で一歩ずつ前に進めるといいですね。